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昨夜、久々に数人の方とお茶をしていました。途中で、血液病棟に勤めている女の子が来ました。彼女は僕に何か話したがっていましたが、間に人がいるので、じっくり話す状況下にはありません。こちらも胆のう炎を患っているので、彼女の意見を聞きたいと思っていました。今年は普段の三倍生きていたので、やっぱり体にきました。さて、この人はちょっと面白い気を発する人で、あんまり話さなくても、気を発信してくれるだけで、それをこちらで受け止めれば、例え深い言葉で理解できなくても、言葉以前の『気』で、こちらは理解できます。ん?わかりにくいかな?たぶん、3歳くらいの素直さを残して大人になった人ではないかと僕は理解しています。さて、話しの中で、最近、孤独死をした芸能人の方の話題が出ました。それをきっかけに、彼女が話しを切り出しました。孤独死でなくなった知人が夢に出てきたそうです。そこまで聞いて、『自分の死を受け止めてもらいたくて、その人は、あなたの夢に出てきたんじゃないの?そして、あなたにその人は自分の死を受け止めてもらったってことかな?』そう僕は理解しました。そして、その知人の死を受け止めた気持ちを 看護婦さんは、誰かに受け止めてもらいたかったのではないかと僕は感じました。こういう時って、難しい言葉は要らないんです。彼女から発する気持ちをそのまま受け止めてあげればいいんです。相性の問題もありますが、僕は素直に受け止めました。反面、相性の悪い相手を受け止めるのは、僕は心が小さいので、逃げてしまいますが(*^_^*) 話しを戻します。以前にも話したことがありますが、この人は病人の看護だけでなく、患者さんの死を受け止める仕事もしています。患者さんって、あくまでも他人です。そんな他人の死をご縁があって受け止めることができるというのも、プロとしての看護婦さんの仕事であり、またそれは、決して機械的なものではないのだと思います。まだ若い女性です。心の深みではなく、彼女の持って生まれたセンスが患者さんの死を受け止める能力を授けたのではないかと僕は感じています。そんな仕事を40歳、50歳と続けていくうちに、心の深さで患者さんの死を受け止める仕事をされていくのではないかと僕は考えています。また、亡くなった方は、彼女が自分の死を受け止めてくれるのを感じ取って、彼女の夢という無意識の空間に入ってきて、自分の死を受け止めてもらいたかったのだと僕は理解しています。パソコン風に言えば、彼女の無意識に孤独死をした人が『アクセスした』ってことかな? さて、彼女の気持ちを受け止めると、とてもスッキリした御様子です。『後はこっちで処理しておくからね』と、話してから、年末の挨拶をして別れました。それからウチに帰って、体に自然塩をまぶして風呂に入って寝ました。そして次の朝…つまり今朝のことです。今日は休みです。僕は休みの朝は、起きるとまず一服して、瞑想します。そして、そのまま『二度寝』します。瞑想して二度寝して起きると、実にスッキリ起きるのですが、今朝に限ってなかなか二度寝に入ることができません。意識は、はっきりする一方です。意識のはっきりしたまんま、二度寝状態に入りました。しばらくすると、体が痙攣を起こします。昔はよく『金縛り』になったことがありますが、金縛りになる前に痙攣するような感じになります。以前いた禅寺の和尚さんは、『金縛りというのは、疲労で体に気が詰まって、その詰まった気が寝ている時に抜ける時に起きる』と言っていましたが、世間でいう幽霊がどうのという問題ではないと僕も思います。さて、体が痙攣を起こし始めて僕は『金縛りにでもなるのかな?』と思いましたが、今朝のはそうではなく、体が浮かぶような感じがします。試しに 天井まで行ってみようと思ったら、天井まで浮かんで、再び床に降ります。面白いので、繰り返していたら、今度はおでこから四方八方に光が飛び散ります。そのうち、脳にカラーの映像が浮かびます。こういうのを書いていると、幽体離脱だと思う人がいるかもしれませんが、実際はそうではなく、脳の中で起きている現象かもしれません。面白いことが起きているなぁと思っているうちに眠くなったので、そのまま眠ってしまいましたが、起きてみると、体がスッキリしているだけでなく、とても心地よい『脱力感』を感じています。そのまま脱力感を味わっていたかったのですが、年末で母がせわしそうにしているので、申し訳ないから起きて食事をして出かけました。実に不思議な体験に思うかもしれませんが、昔、インドで瞑想していた時に似たような体験をしています。当時は亡命したブータンの法王の寺に泊まっていたのですが、彼に瞑想した時の体験を話すと、『瞑想していると時々、そういう体験をすることがあるけど、悟りとは直接は関係ないし、そんな体験にこだわっていると、かえって阿呆になるから、放っておきなさい』と、言われました。当時の僕は神秘体験く らいに思っていたのですが、グリコを求めていたら、グリコのおまけがメインになって阿呆になると、解釈しました。むしろ、そんな体験よりも、一生を左右するような大きな出会いや、とても素晴らしい転機を迎えることの方がもっと大切なことです。実は僕も孤独死予備軍だと自分で思っています。色んなことはあるけど、家族に恵まれるって、当たり前のように見えて、実はとても素晴らしい事だと思います。友達が結婚のスピーチで『その日はムカつくけども、次の日になると、まぁいいか…って感じることのできる家族っていいなぁ』と言っていました。友達は状況が変わると友達でなくなるという姿を何度も見てきました。そんな中で『真の友に出会い、家族に恵まれる』って、稀有なことだと思います。世界の平和は家族の平和から始まると僕は思っています。皆様、家族や今、大切にできる人を大切にしたいですよね。それにしても、看護婦さんって、夢の中でも仕事をしているのですね。昨夜お会いした看護婦さん、『good jobですよ(^-^)/自分の仕事に誇りを持って仕事してくださいね』大変長くなりました。御精読いただきありがとうございまし た。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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死と向き合う看護婦さんスゴいですね。自分が生きて行くだけでも大変なのに。 |
さいたまさ 2008/12/28 16:32 |
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